由緒と歴史

岩井八坂神社の歴史

詳細は不明な部分が多いですが、神社の創建は延長2(西暦924)年と伝わります。
天慶3(940)年に記されたという『将門記』には石井営所と石井之宿が登場しますが、岩井の地名の由来からも石井郷の誕生はこの頃でしょう。さかのぼること約1100年前には、この地が石井と書いて伊波為(いわい)と呼び、将門が営所を築いた宿場町であったことが分かります。
当神社は石井郷が成立の頃と時を同じくして創建され、産土神・守護神として信仰されていたと思われます。
          

さて、以上のように神社の創建は延長2年とされますが、岩井の地に八坂神社が勧請されたのは江戸時代のこととも伝わります。           
岩井の周辺は全国でも最も香取神社が多い地域ですが、当神社も古くは香取神社であったとされます。寛文(1661~)のころより江戸から岩井に上方商人が多く土着するようになると、人々は祇園の信仰と豪華な祭礼に憧れ、現在のように八坂神社へと至ったようです。           

かつて「牛頭天王」と呼ばれていたことから、現在も「天王様」と呼ばれることも多く、神社の正面地区は「天王前」という区名とされていることからも厚い信仰を窺うことが出来ます。           
元文5(1740)年の古文書では「牛頭天王は下猿島郡の総社にして」といわれるほど広く信仰され、例祭当日は「天王様だ、祇園祭だ」と騒ぎ、下猿島郡全域の村々が賑わい訪れたということです。

 

大正時代の写真です。奥にもう一基の鳥居が見えます。

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