御祭神「素戔嗚尊(スサノヲノミコト)」は、その勇猛な御姿を広く知られております。
神仏習合の時代における岩井八坂神社はとくに仏教との結びつきが強く、神前読経が行われ、祭祀には神職とともに僧侶が奉仕したと記録されます。
「牛頭天王」という呼び名は当時の素戔嗚尊の尊称でありますが、現在でも「天王さま」と親しまれております。
天上の神々が暮らす高天原では乱暴を働き、混乱をもたらす神として描かれる素戔嗚尊ですが、葦原中国(日本国)に降りると勇ましい英雄として活躍いたします。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を討伐し、人々を苦しみから救ったというお話は現在も多くの方々に知られております。
大蛇を祓い裂く勇猛な神は尊び敬われ、全国に広く守り神としてお祀りされる素戔嗚尊は、岩井の地においても疫病や厄を退け幸福をもたらす神として崇敬されます。
櫛稲田姫命と結ばれ出雲須賀の地に鎮まった素戔嗚尊は大国主命を生み、家族を愛し協力して国作りに励まれたことから縁結び・夫婦円満の御神徳をもたらす神としても信仰されます。
「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
これは素戔嗚尊が詠んだとされる日本で初めての三十一字の和歌です。古今和歌集の歌人「紀貫之」らは素戔嗚尊を「歌聖」と仰いで崇敬しました。
素戔嗚尊は我が子が治める国に船が必要だとして自らの体毛を用いて植樹を行いました。そして杉と楠は船材に、檜は宮材に、槇は棺材にと木の種類ごとに用途を定めました。
鎮守の森という言葉もあるように、神社と森林は密接に結びついて安らぎをもたらします。素戔嗚尊は文化的な神様としても崇敬されております。
神話で多様な活躍をされた素戔嗚尊は五穀豊穣、厄除け、疫病除け除災招福をはじめて、家内安全、病気平癒、縁結び、夫婦円満、学問・芸術の上達、商売繁盛、植物の成長、治水など、広く諸願成就に強い御力を持つと伝えられています。
明治時代に政府に提出された神社明細書によると、創建は八坂神社と同じく延長二年とされています。
火産霊命(ほむすびのみこと)をお祀りしており、伏火防火の神様として地域の皆様に親しまれております。
かつては本町地区にお祀りされていましたが、合祀され現在は八坂神社境内に鎮座しています。
同じく創建は延長二年とされています。応神天皇をお祀りし、古くから八坂神社の境内社として崇敬されてきました。
武運長久・必勝・立身出世をもたらす神様として、かつて八坂神社例大祭において競馬神事が催されていた頃には、多くの人々が地域の振興と勝利を祈願したとのことです。
なお現在の愛宕神社・八幡神社の両社殿は大正十四年、御神輿新調と同時に修繕されたと記録されています。